公園というよりは、大きな森だった。
ニューヨークのマンハッタンに横たわる「セントラルパーク」である。数々の映画のロケ地にもなっているので、スクリーンを通して見覚えのある風景もたくさんあり、そういう意味では、世界一有名な公園と言えるだろう。摩天楼と呼ばれる世界一高密度に開発された街のど真ん中に、なぜこれ程までに「長方形の大きな森」があるのか不思議に思って、少し調べてみた。驚くべきことに、今から約150年前に、F.オルムステッドとC.ヴォーというランドスケープアーキテクトによってデザインされ、人工的に造られた森であった。マンハッタン島の原風景は、岩盤が剥きだしになった荒野で、現在、僕等が眼にする公園内の樹木はすべて植えられたものであり、大きな湖もつくられたものである。園内に点在する岩盤は、唯一、当時のまま保存されたものらしい。ちなみに、岩盤の大地であったことが、建築を高層化できる安定した地盤をもつ場所として、この地に摩天楼が計画された理由だったようでもある。
今となっては、元々あった森を残したかのように見える広大な森の下では、四季を通じて、様々な人々が、様々に公園を使いこなしている風景が見られる。ジョギングをする人、アイススケートをする人、乗馬をする人、リスに餌をあげる人、泳ぐ人、本を読む人、犬の散歩をする人、鳥の観察をする人、日光浴をする人などなど、枚挙に暇がないほど、あちこちで思い思いの活動をしている。その多様な風景は、まさにニューヨークが人種の坩堝であることを象徴しているかのようである。巨大なコンクリート・ジャングルで働き暮らす人間にとって、それに匹敵する巨大な緑のジャングルが精神的に必要であり、人種の文化や価値観を乗り越えて共有できる「自然」が、この街には求められて来たのだと思う。
イエロー・キャブのクラクションが鳴り響く摩天楼のストリートから、一歩、足を踏み入れるだけで、静寂な無垢の自然の中にいるように錯覚するその風景は、周囲の高層建築群と同様に人の手によって造られたものである。そして、約150年もの間、建築のスクラップ&ビルドを見つめながら、永続的に成長してきた森の風景でもある。建築は、老朽化や最新化という名の下において、“刷新”という変化を繰り返さざるを得ないものである。一方、セントラルパークという「自然」は、ダイナミックで心地よい四季の変化を人々に提供しながら、年を重ねるごとに“更新”という成長を繰り返し、遂には、移ろうマンハッタンに、変わることのない永遠とも思える「自然」をつくりあげた。
その大きな森は、市民の憩いの場としてだけではなく、ホームレスやJ.レノンの殺害現場など、社会の裏側の問題をも沈黙したまま飲み込みながら、かけがえのない「都市の自然」として、今なお、ニューヨーカー達に愛され続けている。
たとえ、それが造られた「自然」であったとしても。(文と絵:澤木光次郎 OSOTO v.03 掲載)