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外部空間における様々な「装置」の調査研究プロジェクト


by nagahama-lab
『新・外部空間装置辞典』は、下記URLに引っ越ししました。

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神戸芸術工科大学 長濱伸貴研究室
# by nagahama-lab | 2010-05-20 20:26
かんぽ・ひろば【カンポ広場】_e0149288_18405420.jpg
世界で一番美しい広場。
そう呼ばれるのは、イタリア・トスカーナ地方のシエナという町にある「カンポ広場」である。昨年の初夏に休暇を利用して、車でローマからフィレンツェにかけて山岳都市を巡った際に訪れた町のひとつである。中世のたたずまいを今なお色濃く残すこの町は、金融都市として繁栄し、世界最古の銀行の本店やシエナ大聖堂などがその繁栄の証しとして現存している。
シエナの町は、地形的に3つの尾根筋が、ひとつの交点を中心として放射状に広がるかたちで広がっている。その交点となる位置にカンポ広場はある。有名な扇形をした広場の形や傾斜は、もともと尾根と尾根の狭間に作られた自然の地形を生かした広場であったことによるらしい。ともあれ、プブリコ宮殿(現市庁舎)とマンジャの塔に向かって、すり鉢状にゆるやかに傾斜する広場では、多くの人々が、腰を下ろしたり、寝そべったりしながら、思い思いのゆったりとした時間を過ごしている。その風景は、赤レンガ敷きの都市広場であるにもかかわらず、緑の丘の上で人々がくつろぐ風景を彷彿させる。それは、8本の白い大理石のラインによって強調されたすり鉢状の形態が、その場の人々を優しく包み込み、自然で穏やかな空間を作り出しているからだと思う。
目線を上げてみると、広場の周囲は、小さな柱のある美しい飾り窓の5~6階建ての建築群に取り囲まれている。その低層階には、バール、ピッツェリアなどの飲食店やお土産物などの商店が軒を連ねていて、広場に賑わいと活気を与えている。広場に張り出した大きなテントの下では、地元の人々や観光客が、名物のシナモンやチョコレートのお菓子とカプチーノを味わいながら、ゆったりと広場を眺めている。驚くことに、この広場では毎年夏に、「パリオ」と呼ばれる伝統行事、シエナの各地区対抗の競馬大会が開催される。赤レンガの広場に土を持ち込み、一時的な馬場を作り、中世の衣装をまとった騎手が競技を行う。当日の広場は超満員となり、熱狂と歓声に包まれる。まさに、この広場は、日常的にも非日常的にも「都市の劇場空間」となっているのである。
このイタリア旅行で興味深かったのは、イタリア人の町の使い方である。中世以来の伝統的な建物や広場を、ことさら後生大事にするのではなく、さりとて粗末に扱うわけでもなく、それらにきちんと敬意を払いながら、今の時代のスタイルを持って使いこなしている。現代的なデザインのイタリア車が、中世さながらの裏通りに停めてあっても違和感を覚えないことが印象的であった。彼らの中で、中世から現代に至るまで、生活に対するデザインが脈々と連続していて、一貫した感性を頑固なまでに持ち続けていることがそうさせているのだと思った。カンポ広場も、観光客にとっては歴史的な遺産であるが、しばらくその場所に身を置いていると、自分自身の暮らしの場のひとつのように思えてくる。その魅力こそが、「世界で一番美しい広場」と呼ばれる本当の理由のような気がした。(文と絵:澤木光次郎 OSOTO v.06 掲載)
# by nagahama-lab | 2009-11-11 18:42 | 外部空間装置|か行
なんば・ぱーくす【なんばパークス】_e0149288_18381838.jpg
ビルや高速道路が建ち並ぶ街中に突如として現れる「緑の丘」。
その「緑の丘」は、大阪ミナミにある「なんばパークス」である。なんばパークスは、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)のホームグラウンドであった大阪球場の跡地に開発された大規模商業施設である。球場があった頃のその界隈は、僕らの世代の大阪っ子にとって、野球観戦やコンサート、アイススケートなど、子供の時から「記憶に残っている場所」でもある。その思い出の場所に「緑の丘」が完全な姿を見せたのは、5年ほど前の秋だったと思う。建設中から丘の形がなんとなく見え始め、その丘にたくさんの緑が植えられていく様子を眼にしていた。丘の中はいったいどんな風になっているのだろうとワクワクしていたのを覚えている。
オープンして間もなく訪れた「緑の丘」は、それまで体験したことのないような場所であった。丘の真ん中が切り開かれたようなキャニオン(渓谷)の両側には、ショップやレストラン、カフェなどが雛壇状の崖に埋め込まれるように並んでいて、見上げると壮観であった。さらに、丘の上、すなわち建物の屋上には、建設中に街から見えていた鬱蒼とした森が広がっていて、まさに公園のような場所であった。その「パークスガーデン」は地上部から段丘状に伸びていて、森の中を巡っていくとちょっとしたハイキング気分になる。その道行きの途中途中に、カフェやレストランが顔をのぞかせたり、花の咲き誇る休憩スペースやパフォーマンスで盛り上がっている円形劇場などに出会ったりする。今春、増築されて、森の中で佇めるベンチのある階段状のテラスや森の水族園をテーマとした木製遊具のある遊び場などがさらに付け加わり、都心の屋上公園として完成した。
その後も、遊びや仕事の都合で定期的に、なんばパークスを訪れている。平日の昼間は子供連れのお母さん達、夜は仕事帰りのOLやカップルで賑わい、休日には、多くのファミリー客で賑わっている。一年を通じて、森の様相の四季折々の移り変わりとともに、それらの人々が思い思いに森の中のあちこちで、佇んだり、買い物をしたり、遊んだり、イベントを見たりしている歳時記のような森の風景がとても印象的である。僕が小学生の頃ホークスの応援に初めて行き、中学生の頃初めてのデートで行ったあの「憧れの場所」が、20年の時を経てその姿を変え、もっと多くの様々な人々の「憧れの場所」となっているのを眼にすると、感慨深さと同時に少し不思議な感じもする。どちらにせよ、この場所が未来に向けて、人々の「記憶に残る場所」となり得ているのは確かである。(文と絵:澤木光次郎 OSOTO v.05 掲載)
# by nagahama-lab | 2009-11-11 18:39 | 外部空間装置|な行

みどう・すじ【御堂筋】

みどう・すじ【御堂筋】_e0149288_18352821.jpg
その道路は、秋になると金色の森になる。
 大阪のキタとミナミを結ぶメインストリート「御堂筋」である。全長約4キロ、幅員約40メートルという道路で、4列縦隊の巨大なイチョウ並木が、壮観な都市景観を生み出している。江戸時代には淀屋橋筋と呼ばれ、幅員6メートルほどの街路だったが、大正末期から昭和の初めにかけて、地下鉄建設と共に拡張工事が行われ、現在の姿となったようである。工事中には、当時としてはあまりにも幅が広すぎることから、「街の真ん中に飛行場でも造る気か?」と言われたとか。確かに、信号機が点滅してから横断歩道を渡り始めると、小走りでないと渡り切れないほど幅が広い。
 子供の頃、母に連れられて御堂筋沿いのデパートでのお買い物によくつき合わされた。その時には有名建築家が設計した建物だとはもちろん知るはずもなかったが、イチョウ並木とエレガントな建物群がつくる街路の様子に、子供心に“憧れ”を感じたものだった。その後大人になって、パリのシャンゼリゼ通りを訪れた際、当時感じた“憧れ”の微かな記憶が蘇えってきた。当初は、「都心の大きな並木道」という単純な共通性がそうさせるのかなと思ったが、シャンゼリゼ通りのカフェで佇みながら街の様子を眺めていると、もっと深い共通性があることに気づいた。森のように見える並木に包まれて、古くからある建物や新しい店舗などが入り交ざりつつ、統一感のある歴史の重なりを見せる街並み。それを市民が愛し、街を使いこなしている風景が共通しているのだ。その風景こそが、訪れる者に、時を乗り越えて「都市の憧れ」を喚起させる理由なのだ。
 ここ数年、御堂筋沿いでは、建物の建て替わりやビルのリノベーションが多く見られる。とりわけ心斎橋周辺では、シャンゼリゼ通りさながら、高級ブランド店やメーカーのショールームなどが立ち並ぶようになり、オフィスビルが多かった街並みに華やかな彩りを与えている。イチョウ並木に面したオープンカフェもあったりして、歩いていて楽しい。春先にはイチョウ並木の若葉、真夏には濃い緑陰、冬にはイルミネーション、そして秋には金色の森。一年という暮らしのリズムと、御堂筋という森の風景の移ろいが、この街では完全にシンクロナイズしている。完成してから約70年を経てイチョウの森が十分に成長したことによって、街並みがその表情をいくら変えても、子供のころ見たあの御堂筋の印象は変わることはない。経済活動によって変化する都市の中で、唯一ずっと変わらずにそこにあるものである。四季の変化を繰り返しながら、いつまでも街の真ん中に居座り続けているその森の下では、様々な人々が行き交い、森の情景とともに、その時の記憶を積み重ねながら生きている。時間が経って、その変わらぬ森の情景を眼にした時、かつての記憶がふと思い出として蘇り、自分の人生の歩みに気づくのである。その瞬間、「金色の森」は、それぞれの人にとっての「かけがえのないもの」となり、街にとっての「憧れ」となるのだ。(文と絵:澤木光次郎 OSOTO v.04 掲載)
# by nagahama-lab | 2009-11-11 18:36 | 外部空間装置|ま行
せんとらる・ぱーく【セントラルパーク】_e0149288_18304932.jpg
 公園というよりは、大きな森だった。
 ニューヨークのマンハッタンに横たわる「セントラルパーク」である。数々の映画のロケ地にもなっているので、スクリーンを通して見覚えのある風景もたくさんあり、そういう意味では、世界一有名な公園と言えるだろう。摩天楼と呼ばれる世界一高密度に開発された街のど真ん中に、なぜこれ程までに「長方形の大きな森」があるのか不思議に思って、少し調べてみた。驚くべきことに、今から約150年前に、F.オルムステッドとC.ヴォーというランドスケープアーキテクトによってデザインされ、人工的に造られた森であった。マンハッタン島の原風景は、岩盤が剥きだしになった荒野で、現在、僕等が眼にする公園内の樹木はすべて植えられたものであり、大きな湖もつくられたものである。園内に点在する岩盤は、唯一、当時のまま保存されたものらしい。ちなみに、岩盤の大地であったことが、建築を高層化できる安定した地盤をもつ場所として、この地に摩天楼が計画された理由だったようでもある。
 今となっては、元々あった森を残したかのように見える広大な森の下では、四季を通じて、様々な人々が、様々に公園を使いこなしている風景が見られる。ジョギングをする人、アイススケートをする人、乗馬をする人、リスに餌をあげる人、泳ぐ人、本を読む人、犬の散歩をする人、鳥の観察をする人、日光浴をする人などなど、枚挙に暇がないほど、あちこちで思い思いの活動をしている。その多様な風景は、まさにニューヨークが人種の坩堝であることを象徴しているかのようである。巨大なコンクリート・ジャングルで働き暮らす人間にとって、それに匹敵する巨大な緑のジャングルが精神的に必要であり、人種の文化や価値観を乗り越えて共有できる「自然」が、この街には求められて来たのだと思う。
イエロー・キャブのクラクションが鳴り響く摩天楼のストリートから、一歩、足を踏み入れるだけで、静寂な無垢の自然の中にいるように錯覚するその風景は、周囲の高層建築群と同様に人の手によって造られたものである。そして、約150年もの間、建築のスクラップ&ビルドを見つめながら、永続的に成長してきた森の風景でもある。建築は、老朽化や最新化という名の下において、“刷新”という変化を繰り返さざるを得ないものである。一方、セントラルパークという「自然」は、ダイナミックで心地よい四季の変化を人々に提供しながら、年を重ねるごとに“更新”という成長を繰り返し、遂には、移ろうマンハッタンに、変わることのない永遠とも思える「自然」をつくりあげた。
その大きな森は、市民の憩いの場としてだけではなく、ホームレスやJ.レノンの殺害現場など、社会の裏側の問題をも沈黙したまま飲み込みながら、かけがえのない「都市の自然」として、今なお、ニューヨーカー達に愛され続けている。
たとえ、それが造られた「自然」であったとしても。(文と絵:澤木光次郎 OSOTO v.03 掲載)
# by nagahama-lab | 2009-11-11 18:32 | 外部空間装置|さ行